豚さん2台 ポルシェ917ピッグ
豚さん2台 ポルシェ917ピンク・ピッグ
1971年のルマン24時間耐久レースに
マルティーニ・レーシングからエントリーされた917/20です。
「Berta the Sow」(雌豚ベルタ)
「ピンクのブタ」と言うニックネームを付けられ切り分けられた肉の文字が。
ポルシェ917Lより130㎜ワイドボディーで
CD値も917Lより11,5%と大きい。という失敗作の実験的マシーンです。
しかし僕は917の中では1番好きかも。
なんか魅力のあるレーシングカーです。
ネットで検索すると「うんとこさ」出てきます。
皆さんも好きなんですね!
製造 1971年
エンジン 水平対向12気筒 4,907cc
最高出力 600PS
車重 909kg
ボディー素材 ポリエステル
最高速度 360km?ほんとかな?
ミニカーを再び押入れからだしてみた。
ルマンミニチュアーズの1/32のスロッカー
と
ハイスピードの1/43のミニカー
マルティーニ・レーシングからエントリーされた917/20です。
「Berta the Sow」(雌豚ベルタ)
「ピンクのブタ」と言うニックネームを付けられ切り分けられた肉の文字が。
ポルシェ917Lより130㎜ワイドボディーで
CD値も917Lより11,5%と大きい。という失敗作の実験的マシーンです。
しかし僕は917の中では1番好きかも。
なんか魅力のあるレーシングカーです。
ネットで検索すると「うんとこさ」出てきます。
皆さんも好きなんですね!
製造 1971年
エンジン 水平対向12気筒 4,907cc
最高出力 600PS
車重 909kg
ボディー素材 ポリエステル
最高速度 360km?ほんとかな?
ミニカーを再び押入れからだしてみた。
ルマンミニチュアーズの1/32のスロッカー
と
ハイスピードの1/43のミニカー
ハイスピード製
ルマンミニチュアーズ製
ハイスピード製
ルマンミニチュアーズ製
ハイスピード製
ルマンミニチュアーズ製
走らない豚はタダの豚。
なんか、この豚さん見てると癒されます。
勝手に作った「ポルシェ917/20物語」
1970年のポルシェは圧勝。1971年は「パイプフレームにプラスティックのボディーで囲われただけで最高速380Kmは、あぶねーだろ!」という事で、レギュレーションが変わり、ポルシェの選手権は3Lの古い908しか無かった。レギュレーション上では選手権は掛からないが5L(917)は今年限りは出場OKとなった。
世界選手権レースの中で一番は、やはりルマン24時間耐久レースであろう。917ポルシェチームのリーダーは後にポルシェを背負って立つイタリアの酒造メーカー「マルティーニ」。ワイヤーレーシング(ガルフポルシェ)は今年限りだ。マルティー二は財力に物を言わせ、またポルシェとの繋がりで917ポルシェワークスといったところか。ルマンに3台エントリーする計画を練っていたマルティーニレーシングはその中の1台の917をより戦闘力のある特別な917に仕上げ、まぐれでも優勝とは思ってはいないが、ライバルの度肝をギャフンと抜いてやろう!と考えた。そこでポルシェはなぜだかフランスの設計事務所「CERA」にルマンスペシャルの依頼をした。ここの集団は本当に幼稚な考えなのだが、レース活動もしていて、まぐれで、そこそこ有名な設計事務所であった。
まあ、棚から牡丹餅的な依頼をあっさり受け幼稚な発想から917/20の設計が始まった。「よし!良い処取りで作れば、間違いなし!」と即効コンセプトが固まった。917にはルマンのユノディエール6Kmのストレートがあり、そこで最高速を稼ぐロングテール仕様LHとコーナー重視のショートテールKが有り、足して二で割ることにした。この人たちは本気で突風が吹けば物陰に隠れればよい。という発想で、ボディーをワイド化して、タイヤを内側に隠した。「これで、風は当たらない!」
ロングテールは直線は良いが、コーナーで遅く、テールヘビーな為、スピンしやすい。「よし、LHとKの中間の長さで行こう!」と何とも中途半端で安易な発想で長さが決まった。そんなこんなで917/20はその年のルマンテストデーにデビューする。
ドライバーは2012年アウディ スポーツ チーム ヨーストを率いてワークス活動している若きレーサーだったラインハルト・ヨーストと、いつも場当たり的に物事を考え、いつも皆が予想した通リ失敗するウィリー・カウーゼン。この人は日本のコジマF1を言葉と行動巧みに騙し取ったあげく、借金の肩に売り飛ばした奴だ。
1971年4月17、18日ルマンテストデーに純白のボディーでデビューした917/20はトップタイムを叩き出した。皆のやっかみが爆発し、その、ずんぐりむっくりしたボディー形状から「Berta the Sow」(雌豚ベルタ)とあだ名をつけて、ライバル達は皆でコケにした。マルティーニの監督は何処へ行っても、「お前、雌豚飼っているのか?ウッヒョッヒョー!」「今夜もベルタちゃん待ってるよー!!」と馬鹿にされて、相当頭に来ていた。そして「だったら本当にピンクに塗って雌豚にしてしまえ!」とピンク・ピッグが誕生した。車にマルティーニと入れると「ほーら、やっぱお前、雌豚飼ってんじゃん!」と馬鹿にされたくないのでマルティーニの名前は入れなかった。
1971年ルマン本戦 最後のルマン式スタート
もともと素性の良い917、ピンク・ピッグはコンスタントに走り一時3位を走行する健闘を見せたが、スタートから12時間後5位走行中、ヨーストがドライブするピンク・ピッグは夜のアルナージュでブレーキトラブルに見舞われコースアウト、クラッシュ大破し、レースを終えた。
後にも先にも、この1971年ルマン24時間耐久レースが最後となった917ピンク・ピッグ
1レースのみ出場、しかもリタイアで終わった失敗作のレーシングカーがなぜ、こんなに愛されているのだろう、、、
やはり「雌豚ベルタ」だからだろうか。
(全部作り話です。)
Posted by AlpineV6T at 19:22
│机の中の写真